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冷蔵庫のメモ感覚

マクガフの逆襲

日本シリーズの季節だね(すっとぼけ)。前年最下位同士のチームでの日本シリーズはとても新鮮で、ヤクルトは塩見、オリックスは杉本といった今シーズンブレイクした選手が、、、。みたいな野球の話は野球に興味の無い人に対してとても滑稽に映ることを僕は知っている(とあるオタクの顔を思い出しながら)。野球の話ほど虚無で、雑多で、時間を埋め合わせてくれる話題はそう無い。しかし、大抵の人間は話題を埋め合わせることに必死であるので、野球の話題はかなり世の中では必要とされていることを自分の好きな話題のみで時間を全て埋め合わせることのできる人々に知らしめておきたい。まずは、野球の話題でしか話題を繋ぎ止めることが出来ない家庭や職場を想像してみて欲しい。あ、やっぱり止めようか。。。

しかも明日は日本シリーズをとある友達の家で観ることになってるので、野球の話はそこですれば良いだけなのだ。そして野球はピッチャーがボールを投げる瞬間のみ集中して観れば観戦が成立するので(良い意味で、良い意味でね)、今僕はこの文を書けている。野球の懐の深さに感謝したい(村上春樹神宮球場でよくヤクルトの試合を観戦しながら小説を書いていたらしいよ)。ちなみに試合は抑えのマクガフが1戦目のリベンジを果たしヤクルトが勝ちました。やったね。はい、野球の話終わり。

 

デカ音部屋というデカい音が出せる(直球)東区警察署の前にある部屋があり(だから治安は最高)、そこで10時間軟禁されながら音楽を聴きつづける会に最近参加した。夜22時から朝8時までのわくわくする夜更かしの時間帯で行われ、東方アレンジをかけまくり「実はこれ東方アレンジなんすよ」を連発する方やgroup_inouを3曲連続くらいかけまくる方(旧横浜ベイスターズ球団歌を流し20年ほど前のベイスターズの情報を鮮明に話してくれる方)など、人によって個性が出てとても新鮮な機会だった。人が音楽を流してその場でその曲の出会いや好きなところを話す感じが(野球の副音声みたいで)本当に良い。あと、他人が居る前だとただ曲を流すだけでも“意図”が産まれてしまう点も非常に興味深かった。皆もやってみて。

こうゆう、夜更かし前提のイベントで「いやぁ俺前日あんま寝れてないんだよねえ」みたいな奴必ず居るじゃないですか。今回自分がそれだったんですけど(照)。最近昼夜逆転生活が激しくて授業や約束事に遅れまくる本当に最低の1週間を送っていて、なんとか今回乱数調整をしたかった。(乱数の計算ろくにしなかったけど)。無事次の日に18時間くらい眠れて、むりやりサイクルを戻すことが出来たことも個人的には良かったかな。(サイクルといえばプロ野球では今年は塩見と牧がサイクルヒットしたね、最近比較的多い気がする。)

 

その次の日は、BBHFという大好きなバンドのliveに初めて行く事ができた。若い層のお客さんが多めでなんか変な緊張を感じたことを覚えている。1曲目から“ホームラン”という曲から始まり(丁度日本シリーズの開始時刻と同じ時間からだったからテンション上がったな)kickのデカさとアンプから鳴らされるギターの音の瑞々しさに久々に酔いしれた。尾崎和樹さんのDrumsって生で聴いているとやっぱり独特で、キープをしながらパターンを変化させ曲をあっためていく感じが本当に“BBHFらしさ”に繋がっていると思う。“煮沸“じゃなくて“電子レンジ”みたいな感じかな。“シンプル”や“なにもしらない”系の直球ロックな曲が場の雰囲気やノリにフィットしていた日だった。『南下する青年』からの曲が少なかったのは、彼らの中で『南下する青年』という作品は想像以上にシームレスなものの上で成立しているのかなとも感じた。短編小説集の中に長編小説のオススメの章を無理して混ぜたくない、みたいな感じだろうか。南下する青年配信liveにて『南下する青年』の曲だけを曲順そのままにした、という事例も強く関係していそうだ。あとcube gardenのドリンクコーナーで貰えるHARIBOはやっぱり嬉しい。存在を忘れた次の日にバックから出てきたHARIBOよりテンションの上がることなんて山田哲人の2015年日シリ3打席連続ホームランくらいしかないよね。(あとはまだ日本シリーズが開催されている時期なのに家の庭に積もる雪くらいだろうか。)

 

たまたま次の日に折坂悠太の札幌公演にも足を運ぶことが出来て(2日連続liveを観に行けるなんてなんて贅沢なんだ)これがまた凄かった。折坂悠太の今年出たalbum『心理』は僕の中で質量の無いまま傍にある(“いてくれる“という表現も此処では似合わない)様な作品で、エゴをあまり感じさせないのに人間味溢れている、奇妙さと普遍さが両立された素晴らしいものだったのだが、liveにてさらにひとまわりもふたまわりも今作品が脱皮した様な印象を受けた。まずバンドメンバーの構成が

折坂悠太(Vo. / Gt.)

yatchi (Pf.)

senoo ricky (Dr. / Cho.)

宮田あずみ (Cb.)

山内弘太 (Gt.)

ハラナツコ (Sax. / Fl.)

宮坂遼太郎(Per.)

なのだが、皆恐ろしいくらい演奏がキマっていた。静寂、タメ、全てが心地よい。“春”などのテンポの遅い曲でも独自のうねるようなグルーヴを途絶えさせることなく、ひとつひとつの音の強弱もしっかり付いていて最後までずっと気持ちよかった。また宮坂さんのゾクゾクさせる音像のPercussionや宮田さんのWood bassの上澄みの部分、senooさんのきめ細かいタッチのDrums、ハラナツコさんの寝息の様に歪んだSaxがバンドのトランジェントの部分をこれ程かという程豊かにし、折坂悠太の発振しているボーカルの合間を掻い潜り時折聞こえてくるこれらの音は、“このまま此処にずっと居させて”と僕に感じさせてくれた。粒立ちの感じさせるこれらの音が折坂悠太の陶器の様な威福な声に見え隠れする音像はサ柄直生『夏の透濁』やquoreeの作品群などの有機的なトラックメーカーの音像を想起させるものだったと思う。そして、驚いたのは山内さんのguitarが全く“guitar”していなかった点である。座ってguitarを弾いていた山内さんの前には小さな台が置いてあり、そこにはギターエフェクターが複数置いてあった。時折エフェクターを手で弄りながらギターを鳴らしていたその音像は、全体を通してほぼPad的な役割に徹しており、リバーブやディレイなどを駆使してguitarの鉄の成分を乱反射させバンドの音像に濁りを沈殿させていた。guitarを(島村楽器の紹介動画のように派手に旋律を弾くことなく)このようにPad的な役割に徹してあげることで、トランジェントが全体的に過度に渋滞することはなく、かといってバンドを単に爽やかな音像に留まらせることを拒絶していたように感じる(アンコール曲の“さびしさ”では逆に爽やかな音像を際立たせていたことも記憶している)。またキーボードや折坂悠太のクラシックギターに関しても徹底的に弾きすぎておらず、バンドの意図と目的が明確に伝わってきた怪演だったように思う。『心理』の曲郡もより好きになり、本当に良い体験でした。2年前に札幌にてイ・ランと弾き語りした回も僕は行ってて、その時の話をしてくれたあとの“윤슬“にて流れたイ・ランの声に何故かとても情緒的になってしまった。早く体調を直してまた札幌に来て欲しい。

 

Twitterをみたらヤマヴ飲料店の店長ことふかふかさんも折坂悠太のliveに参加していたらしく、今度店を訪れた際にliveの話が出来たらなとふと思った。(ふかふかさんという店長の名前は置いといて)平岸にあるヤマヴ飲料店はとても居心地の良いカフェで、カレーや変わった飲み物が置いてあり(何故か酒盗も置いているのだが)全部美味しい。ココアも濃厚で美味しい(本棚は癖が強い)。

前にヤマヴ飲料店にミライノオンガクの稲田さんと一緒に行った際に「焼鳥じゃんの日記は何故あんなに面白いのか」という話をして、本当なんでなんでしょうね。ただ日常で起こった出来事を感想と共に述べていくだけで“面白い“なんて感情にさせることがそもそも異常なんですよ。僕も今回の序盤みたいな創作落語「野球の噺」みたいなスタイルから脱したいですわ。でもなんか直球に書けないんですよね。カーブみたいな話ばかりですわ僕は。